潟上市立
羽城中学校

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校歌

作詞:黒沢 三郎
作曲:信時潔

1.晴れて平和の朝を呼ぶ
八郎潟よ 船影よ
海のごとくにおおらかな
夢と希望の旗高く
かざすは羽城中学校
友よ明るく歌え いざ

2.高い理想と仰ぎみる
奥羽の山よ 聖農よ
虹のごとくに光りたつ
日々の学業すこやかに
めざすは羽城中学校
友よ雄々しく進め いざ

3.めぐみ豊かなふるさとの
みどりの風よ 稲の穂よ
花のごとくに咲きにおう
若い日本の新文化
きずくは羽城中学校
友よ楽しく励め いざ

音声再生

「羽城中学校校歌」の思い出 門間光夫(故人)

「羽城中学校校歌」の作曲者は信時潔である。信時潔と言えば、あの「海行かば」を作曲した人物で、楽譜を手にした時、これは大変な校歌であると感動を覚えたものである。

昭和29年9月23日、校名が決定し、その後応募した歌詩数編の中から歌詩もきまり、直ちに作曲依頼へと、当時あわただしく時間が経過している。

作曲依頼の段取りについては、当時在職中の伊藤雄蔵先生が、かねて面識のあった大曲高等学校の音楽教師、佐藤長太郎氏を介して中央の作曲家を紹介してくれるように頼むことを決めたらしい。

当時、佐藤長太郎は教職のかたわら、時々上京して映画音楽の指揮をするなど、ユニークな活動をしていた人物で、音楽を通して在京の著名作曲家とも親交があった。佐藤長太郎氏から紹介があった作曲家は、山田耕作、宅孝二、深井史郎(秋田県出身)、石井歓(秋田県出身)等々数名を挙げているが結局、信時潔に依頼することに決定した。(私共若輩の青年教師にはその辺の詳細は分からない)作曲が完成し、佐藤長太郎へ楽譜が届き、それを受け取りに行くよう伊藤雄蔵先生から出張を命じられたのが、音楽担当の私である。

大曲高等学校まで佐藤長太郎氏を尋ね、渡された楽譜を見てその作曲家が信時潔であると告げられたときは、全くの驚きであった。戦中派の私共にとっては、「海行かば」は胸に響くものがあった。そんな感情からか、羽城中学校は大変な作曲家を得たものだと思ったものである。

当時の信時潔は作曲界の一流中の一流の人物で、即ち最高峰の作曲家によって作曲されたのが「羽城中学校校歌」である。ゆったりした気宇壮大、荘重なメロディーは腹の底から発声して歌うにふさわしく、中庸の早さも未来への飛躍に夢を託している。

昭和29年12月25日、校歌制定、発表会を講堂で実施している。

羽城中学校報 「青雲」20年度版第07号:平成20年8月29日(金)発行より