潟上市立
天王中学校

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(特集)写真で振り返る本校のあゆみ 1

 地域に愛され地域とともにあゆんできた本校の歴史を振り返ります。
 当ホームページに初めてお越しいただいた方にも読んでいただきやすいようにと、「学校のようす」の中に本特集を組みました。
 ご友人同士、またはご家族や世代を越えた交流の中で、本校の歴史や思い出などを話題の一つにしていただけたら幸いです。

現在の様子-職員玄関を入ると-

 職員玄関を入ると目に飛び込むのは「学校と地域のつながり掲示板」です。学校運営協議会のアイディアで設置しました。
 地域コーディネーターの方がデザイン・装飾を工夫し、市広報「かたがみ」最新号や旬な情報なども掲示しています。写真などの地域の方の作品も集めて展示しています。
 植物・お花も地域の方が季節に合わせ飾っているものです。あわせて、生徒に読んでほしい本も置いています。これまで、本校出身者の写真集や絵本を飾ってきました。
 校内の雰囲気も、時代や学校の運営の考え方によって、ずいぶん変わってきました。

 では、創立当時の「天中」から振り返ってみます。

昭和22年度-開校の頃-

 戦後の昭和22年、日本では、小学校・中学校・高校・大学の「六・三・三・四制」という新しい学校制度が始まりました。
 4月1日、天王村立天王中学校が創立され、天王小学校旧校舎東棟に間借りしての開校となりました。当時は、出戸小学校にも分校が置かれていました。上の写真は、当時の天王小の校舎写真です。
 5月1日 始業式、入学式が行われ、その後、この日が開校記念日となりました。
 5月29日 全校遠足で寒風山に登りました。
 2月21日 学芸会実施。翌年から文化祭と名称を変更しました。
 創立時の生徒数は、1年236人、2年46人、3年42人の計324人でした。中学生をはじめ、この人数を見て「なぜ1年生だけ多いの?」という疑問をもった人もいるのではないかと思います。実は、新しい学校制度では、第1学年の生徒のみを義務就学とし、以後学年進行によって24年度に全学年の義務就学が完成することになっていたのです。
 そして、昭和24年には、天王小・天王中を合わせて1,700人もの児童・生徒が通う学校となりました。
 なお、PTAは昭和23年に創設されています。「子どものために・学校のために」という地域・保護者の熱い思いがスタートしました。

昭和26年度-待望の独自校舎完成-

 昭和26(1951)年、創立5年目。全校生徒数は、682名でした。
 天王中学校待望の新校舎が完成した年です。
 10月1日、校章と校歌が制定されました。「連なる山の…」で始まる校歌を初めて聴いたとき、生徒たちは感動で胸がいっぱいになったそうです。(ここをクリックすると校歌のページに進みます。歌詞の下にある「音声再生」で校歌を聴くことができます)
 この年は、町制施行となり「天王町」が誕生した年でもありました。
 11月4日には、町制施行と新校舎落成式、天王小学校75周年記念の3つを兼ねた式典が盛大に行われました。
 12月17日、当時の生徒たちは自分が愛用してきた机・イスを抱えて天王小学校から新校舎に引っ越しました。雪の降る中ではありましたが、独自校舎で学べる喜びに胸をおどらせていたそうです。
 

昭和28年度-校旗樹立-

 昭和28(1931)年、創立7年目。全校生徒数は、660名でした。
 校旗樹立を望んだ多くの人の願いがかない、昭和29年3月20日、校旗樹立式が行われました。
 校旗はジュラルミンケースに入れて校長室に保管され、今も入学式や卒業式などの儀式で大切に使われています。
 この校旗には、昭和26年に制定された校章が描かれています。校章は、八郎湖の主、八郎がその爪で八咫鏡(やたのかがみ)を手中に収めた様をかたどったもので、三つの爪は教育の理想たる「真・善・美」を表し、八稜の鏡は「希望・大志」を象徴するとともに、天王の呼称である東湖八坂神社の神器にあやかっているとされています。 

 左の図は、当時の学校平面図です(「昭和28年度 学校要覧」より)。この後、生徒の増加に伴い、昭和30年度(4教室120坪)と35年度(2回目、4教室)に校舎増築工事が行われていきます。

 昭和28年には、全校体育・運動会のほかに体育関係の催しが盛んに行われるようになったようです。3年生が初めて日光、東京方面に修学旅行に行ったのもこの年で、学校行事に力が入れらるようになりました。「行事をとおして成長する天中生」に、さらに加速がかかっていくことになります。

昭和32年度-創立10年目-

 昭和32(1957)年、創立10年目を迎えました。
 4月1日に始業式、3日に入学式が行われました。
 1年生は5学級223人、2年生は6学級325人、3年生は5学級260人で、合計16学級・全校生徒は808名でした。1学級の人数が最も多いクラスは55人、少ないクラスでも44人いました。
 5月18日には。運動会が行われました。今回から取り入れた生徒の仮装行列は、大好評だったようです。
 11月3日には創立10周年記念式典・祝賀会を、翌4日には創立10周年記念の展覧会・文化祭を盛大に行いました。
 

昭和37年度-体育館の完成-

 昭和37(1962)年、創立16年目。全校生徒数は1,115名にのぼりました。
 天王中学校の歴史の中で、最多の生徒数を誇った頃でした。各学年7~8級、全校で23学級でした。1学級の生徒数は約50人でした。
 この年、体育館(屋内運動場)が完成し、11月3日に竣工式を行いました。また、翌4日には文化祭と「向上」像の除幕式を行いました。下の写真は、「向上」像を囲んで撮ったものです。

昭和52年度-創立30周年-

 昭和42(1967)年に創立20周年、昭和52(1977)年に創立30周年を迎えました。
 創立20周年となるこの年、相撲とサッカーが県総合体育大会で優勝、県陸上競技大会では走り高跳びと80mハードルが1位を獲得し、創立記念に花を添えました。記念式典は10月18日に行い、21日(土)に記念文化祭、22日(日)に記念大運動会を開催しています。
 なお、昭和43年7月17日には、校庭に相撲場が完成しています。

 その10年後、昭和52(1977)年は創立から30年目となりました。
 11月1日に記念式典と祝賀会、文化祭を行いました。翌2日には、本校体育館で「大いなる秋田」公演が天王町公演実行委員会の主催、県教育委員会・天王町教育委員会・秋田県吹奏楽連盟の後援で行われました。次の写真は、空から撮った校舎の全景(上)と、「大いなる秋田」天王町公演(下)の様子です。

 (つづく)